<前回までのあらすじ>
デアゴスティーニの『おしえて!おしゃべりガイコツ』を全70号を1年以上かけて作ることになったママと小学3年生の双子。まずは1~3号で、頭がい骨と歯と舌を組み立てながら、体の不思議を学び、娘の仮死事件を思い出したのだった…。
デアゴスティーニの人体模型を双子と一緒に最後まで作ってみた~!vol.1
目と耳と、そして心臓
4号目。デアゴスティーニから白い球がふたつ、送られてきた。
これに、ひとみシールを貼って、眼球にするのが今回の作業。
ひとみシールが緑・青・茶の3色ついてきて、好きな色を選んで貼るだけ。
だが、ホネッキーは「一度はりつけたらはがせないボーン!」(どうやらホネッキーは語尾に『ボーン!』を発するキャラクター)と言っている。
双子はべつべつの色(娘は茶色を、息子は青色を)を希望し、互いにゆずらない。ゆずったら人生負けとでも思っているらしい。思えばそれは赤ちゃん時代から始まっていた。同じ時に泣く。相方が抱っこされればもっとはげしく泣き、自分が抱っこされるまで泣く。抱っこされて泣き止んだ相方も下ろされたとたんに泣く。彼らにとっては飢えるか肥えるかの一大事、その精神が8歳になった今でも続いているというわけだ。
私は「左右の目の色がべつべつなのも、めちゃカッコええぞ」と言ってみたが、やはり双方が自分の色を主張したので、じゃんけんを指示。娘が勝って茶色にし、残ったひとみシールを敗者の息子にあげるという形で決着した。

ふぅ。落ち着いて見ると、意外に、つぶらなひとみのホネッキー。
同じくつぶらなひとみの私は、ド近眼のため、スポーツするとき以外はメガネをしている。もちろん睡眠がコマ切れになる授乳期もメガネママだった。
幼児になると、メガネをして絵本を読み聞かせしながら子どもを寝かしつけ、そのまま自分もメガネで寝落ち。
そして寝相の悪い子どもの「かかと落とし」を顔面に受け、メガネがゆがんだこともある(ママ友は、同じ状況で鼻骨を折った)。
いつの間にか自分でメガネをはずしていて、起き抜けにメガネを踏んでぺしゃんこにしたことだってある。
そんな苦労があるので、わが子には、せっかくの良い視力を保ってほしいと思っているのだが…。
子どもの視力といえば、昔はガリ勉で低下したものだが(私もそのクチ)、今はゲームのほうが、その要因としてやり玉にあがる。
我が家も土日関係なく早朝から働いている自営業。知らぬ間にゲームが子守役になっていたりして、視力を守る上で「まずいな」と思うことがある。
4号目の冊子「目のしくみ」は、いきなりそのテーマ「テレビゲームは目に悪いの?」という学習まんがからはじまる。ホネッキーが、テレビゲームばかりしているお友だち「げんきくん」の目の中に入り込んで、網膜や網様体を紹介するのだ。
あー、このスタイル、小さいころ繰り返し読んだ、学研の「ひみつシリーズ」の「からだのひみつ」を思い出すなァ。
レンズの役割をする水晶体の厚みを調節する筋肉「網様体」くん。遠くを見るときは伸び、近くを見るときは縮む。だけど、体の持ち主である「げんきくん」が近くにあるゲームをずっと見ているから、網様体くんは、ぎゅうぎゅうと縮みっぱなしで、汗はダラダラ、体からは湯気。今にもバーストしそうに疲れている。

親がいくら「遠くを見なさい」「ゲームは30分まで」と口をすっぱくして言おうとも、子どもは聞きやしない。けれど、網様体くんのこの苦しそうな姿を見れば、心底「まずいな」と思ってくれるはずだ。
その「まずいな」が「ゲームは、ほどほどにしておこう」には、直接つながらないのが、子どもなんだけどね。
目はネタが多いため、デアゴスティーニの、5号、6号めのテーマも「目」。
5号では今回ひとみシールを貼った眼球をLEDケーブルにつなげ、頭部の固定版に固定する作業。




6号では、5号の完成形に「頭部サーボモーター」を取り付ける作業。



5,6号の冊子では、視野や、動体視力、アニメが動いて見えるしくみ、目の錯覚が起こるしくみなどが紹介されている。
双子が楽しそうに読んでいたのは、「錯覚」のところ。
そういえば、以前から、目の錯覚を利用したトリックアートのアトラクションがあると、ノリノリでやっていた。


ガイコツを組み立てながら、幼少期にいろいろ連れて行った思い出がよみがえる。こいつらも、春から小3。いつまで一緒に、出かけてくれるのだろうか。いままでも、これからも、一瞬一瞬が、貴重なんだなぁ。
まさか、人体模型に、しみじみさせられるとは思わなかった。
未熟児で生まれた息子の心臓には穴が開いていた

さて、「目」のテーマが3号もつづくと子どもが飽きる、というデアゴスティーニの判断か、間にはさまった5号のパーツは心臓。組み立てはないのだけれども、やわらかい感触のものが一個、箱におさまっていた。


















とは言うけれど、昔より今のほうが、赤ちゃんを産んだお母さんたちには、いろんなことがわかってしまうので、心配も、選択をせまられることも、多い。子育ては、昔の『たいへん』と今の『たいへん』は種類がちがう。今は紙おむつも粉ミルクも性能のいい物があって、『アンタらはええなあ、楽できて』と年配の方々に言われるが、それよりも精神的にやられることが多いのだ。
ああ、まざまざと脳裡によみがえる、赤ちゃん時代の、心臓エコー検査。
赤ちゃんはじっとしていられないので、睡眠薬で眠らせてから、エコー検査をする。
息子はなかなか眠れないうえに、ご機嫌が悪くなり、ぐずりまくった。
2時間ほど暴れたあとに、ようやくぐったりしたところ、ぬるぬるの液を胸に塗り、心音が鳴り響く真っ暗な部屋で先生が見入っている画面をじっと見つめる。
先生は何もいわずに、機械をカチカチ言わせて何かを測っている。だまったまま、画面を見つめる。先生が部屋の電気をつけて「問題ないですね」と言ってくれるまでの間、さまざまなことが頭をよぎる。5分ほどの短い時間が、永遠にも感じられた。
あの時、食い入るように見つめた心臓のエコー画像。息子の心臓が、鼓動して、血が流れているようすが、ビジュアルとして目に入ってきた。心房と心室の間にある弁のところは、流が少し、他の場所と違って見える。そんな心臓のしくみは、デアゴスティーニの冊子にも詳しく解説されている。
多かれ少なかれ、赤ちゃんから幼児期にかけては、親も知らぬ疾患や病気で病院に駆け込むことがある。だけど、それらひとつひとつの経験が、今まで知らなかった体のしくみや、人体の成長過程について深く知るきっかけにもなるわけで…。
病気や怪我のたびに、子どもは強くなっていくけれど、親のほうもまた、体に対する知識が増え、強くなっていく。
母親は子どもを守るために戦う!ときにはコウモリとも!
神妙な気持ちになりながらの、8号目はテーマが「耳」。
ついてくるパーツは、耳とは関係のない「頭部スタンド」である。

頭部が完成したらこれに立てるらしい。バリ島やシンガポールで売られている、頭だけのブッダみたいな感じになるのかな…。ずいぶん趣は違うけど。
学習まんがは「どうして年を取ると耳が遠くなるの?」である。
耳の遠いおばあちゃんと一緒に暮らしている私ら親子にとっては、おばあちゃんと話がかみ合わない理由を科学的に理解するチャンス。







この冊子「おしえて! おしゃべりガイコツ」のよく出来ているところは、身近なテーマ設定での学習まんがのあと、大人にも読みごたえのあるきちんとした「人体の機能解説」があり、そして子どもたちが好きな「動物ネタ」や「クイズ」に行くところである。
なかでも我が家が盛り上がるのは動物ネタ。さまざまな動物の心臓の大きさ、鼓動の数、視力、聴力など、毎回テーマごとに動物を比較しているのだ。
動物好きの娘は、小学校の「図書」の時間にも動物関係の本を借りてきたりするので、ところどころ知っている知識があるのも、「もっと もっと!」と知識欲をそそるらしい。


たいがいにおいて、息子の感想は「エグい」「すげえ」である。
友達を見ていても、おおむね低学年の男子のボキャブラリーはこんなもんである。このコラム、娘のおかげで成り立っているようなものだ。


そうなのだ、子どもらが幼児の頃、我々は職場から少しはなれた、田んぼの近くに家を借りていた。寝かしつけの後、原稿を書こうとパソコンに向かっていると、ヒラ~ ヒラ~と影が横切るので、後ろをふりむくと、バットマンのシルエットが、障子の桟に止まっていた。コウモリだった。
「虫捕り網で捕獲できる」と、ご近所の人に聞いていたので、もう一度ヒラヒラしてから壁に止まったところを、上から網をかぶせた。







子育て中、母親はさまざまなものから子どもを守るために戦わなければならない。精神的にも、肉体的にも。ときにはコウモリとも!
人体模型を組み立てながら、しみじみしたり、思い出がよみがえったり、頭の中が走馬灯になるのは、桜の咲く季節だからだろうか?
ホネッキー完成まで、あと62号だボーン!
<つづく>

埼玉育ち、大阪在住。8歳男女の双子の母。無類の犬好きで、著書に『白い番犬チルー』(幻冬舎)などがあるが、未熟児で生まれたわが子たちの発育過程を目の当たりにし、人体の神秘にも感銘を受ける。その育児エピソードは、たるいしまこさんの絵と中村翔子さんの作で、『おはなしカイとナツ あるふたごちゃんのものがたり』(リーブル)という絵本になっている。年中無休自営業のすき間に、週一で剣道をするのが何よりの発散。
デアゴスティーニの人体模型を双子と一緒に最後まで作ってみた~!vol.1
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